蝉しぐれが夏の終わりを感じさせる今日このごろです。
プライムコートの近くの公園に植えられている木々の葉に、セミの抜け殻がたくさん付いていました。
それこそ、まるで木の実が生っているように、葉っぱにぶら下がるような格好で、抜け殻が垂れ下がっています。
この抜け殻を葉っぱごと取っている人がいたので、どうするのかと尋ねたところ、「絵手紙のモチーフにする」とのことです。なるほど、と思いました。
素敵な絵手紙が描けそうですね。
蝉しぐれが夏の終わりを感じさせる今日このごろです。
プライムコートの近くの公園に植えられている木々の葉に、セミの抜け殻がたくさん付いていました。
それこそ、まるで木の実が生っているように、葉っぱにぶら下がるような格好で、抜け殻が垂れ下がっています。
この抜け殻を葉っぱごと取っている人がいたので、どうするのかと尋ねたところ、「絵手紙のモチーフにする」とのことです。なるほど、と思いました。
素敵な絵手紙が描けそうですね。
終戦記念日が近づいてきました。
聖蹟プライムコートと(併設の)ケアコートのご入居者の中には、戦争を経験されている方が多くいらっしゃいます。今日のプライム日記は、あるご入居者(M様)の体験談を記したいと思います。
◆「凍傷のおかげで帰国実現」…三原勇作様
昭和14年(父の仕事の赴任に伴い)中国に行き、北京日本中学校に入学した。昭和20年4月、山東省済南の「衣2354部隊(輺重隊 しちょうたい、輸送部隊)に入営した」。7月末、部隊ごと広島に移動することになり、済南駅から貨物列車に乗った。今で言うソウルで列車が止まった。間もなく列車は発車したが、今まで南下していた列車が、方向を変えて日本海沿岸を北上した。ソ連参戦で、ソ連軍の侵攻に備えるためだった。
やがて、日ソ国境(当時)近くの清津に着いた。翌日からは物資をトラックで搬送する日々が続いた。
8月15日、終戦となり、全身の力が抜けた。1ヵ月後、日本に帰国すると言われ船に乗った。しかし、着いた先はウラジオストク。捕虜収容所に抑留され、ソ連の建物のレンガ積みの労働など、厳しい生活が1年4ヵ月続いた。栄養失調などで何人も死んだ。
寒さが厳しい戸外で作業を続けたため、私は凍傷にかかり、足の指先4本の肉がなくなって、爪だけになってしまった。約1ヵ月歩けなかった。
やっと歩けるようになった頃、帰国者の人選があり、虚弱者で働けないという理由で、300人中の100人に選ばれた。
凍傷のおかげで帰国できたのだ。
最初の予定通りに広島に行っていれば、原爆で死んだかもしれない。
聖蹟プライムコート東大宮の建物には、介護付有料老人ホーム「聖蹟プライムケアコート東大宮」が併設されています(以下「ケアコート」)。
ケアコートもプライムコートと同様に、様々なレクリエーション活動を行っています。
そのひとつ、陶芸教室をご紹介します
陶芸教室は月2回開催されます。
写真は、先月27日に行われた際の風景です。
作り方は、こねた土をひも状にしてぐるぐると積み上げていく方法です。
陶芸は器を作るという創作活動であると同時に、手が土に触れることよって体全体が心地よい刺激に包まれるという癒しの効果もあると思います。
その証拠に、粘土に触っている時のご入居者の表情はとても温かで、嬉々としていました。
形が出来上がった作品は、指導に来てくださっている先生が、別の場所にある窯で焼いてきてくださるそうです。
どんな具合に出来上がっているのか、今からとても楽しみです。
7月31日(日)、プライムコートの2011夏まつりが開催されました!
江戸端歌あり、落語あり、ビンゴ大会あり、そして「缶ビアガーデン」ありの、夏まつりです。
「江戸端歌」では、最後に「東京音頭」をみんなで歌って踊り、気分は最高潮。足腰の不安な方はイスに座ったままで、元気な方は踊りの輪に加わり、一体感を味わいました。踊りっていいですね!
また、女子職員の、浴衣を着て、髪形も浴衣に合わせてアップにした、いつもと一味違う装いに、ご入居者も「あれっ?!髪形を変えると誰だかわからなかった」と驚かれ、和気あいあいとした楽しい1日でした。