去る9月27日、あいにくの雨でしたが、権現堂に曼珠沙華(彼岸花)を見に行く日帰りドライブを実施しました。
お花見の時期は圧巻であろう桜堤の斜面に彼岸花がほぼ満開に咲いていました。
(雨に煙る彼岸花もまた風情があります)
堤の一角には立て札(写真)が立っていました。
説明書きには、
「1802年、長雨のために利根川の水位が上がり、遂に決壊。補修工事に人々が手をこまねいていると、その時そこを通りかかった巡礼の親子が自ら人柱を申し出、流れに身を投じた。するとたちまち洪水がおさまった。
これに対し、『工事は無駄だ』と言った巡礼親子に工事の人夫たちが怒り、親子を川に投げ込んでしまったという説もある」
とあります。
同じ利根川流域の栗橋町(現:久喜市)でも、「旅の親子を川に投げ込んだ」という伝説が残っています。
栗橋町の場合は、人身御供となった親(母親?)が川に投げ込まれる時、「せめて子どもだけでも(助けてください)」という言葉を残したので、「一言様(ひとことさま)」と呼ばれて供養されています。
洪水や築城などに際し、人柱(人身御供)をたてたという伝承が日本中に残っています。
人柱(人身御供)にされる人は、土地に定住しない、いわゆる「流れ者」でした。
ムラによっては、流れ者に食住を与えて世話をし、いざという時の人身御供や、(争いなどで)刑罰を受ける村人の身代わりにしたということです。
悲しい歴史の一面です。

